ハワイの歴史・王族

10月16日は美しきプリンセス・カイウラニの誕生日

23歳の若さで亡くなったカイウラニ王女。「プリンセス・カイウラニ」という映画をご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ハワイ先住民のために戦った、若き美しい王女

ハワイ王国が転覆した時は17歳だったカイウラニ王女。ハワイ王家のプライドを持ち、ハワイのために力を尽くしますが、ハワイ島で激しい雨に打たれた影響で風邪をひいてしまい、それが悪化。23歳という若さで亡くなってしまいました。

カイウラニ王女の基本情報

まず初めに、カイウラニ王女の名前、生年月日などの基本的な情報を見てみましょう。

  • 名前
    ビクトリア・カベェキウ・カイウラニ・ルナリロ・カラニヌイアヒラパラパ・クレグホーン
    Victoria Kawēkiu Kaʻiulani Lunalilo Kalaninuiahilapalapa Cleghorn
  • 生年月日
    1875年10月16日
  • 亡くなった日
    1899年3月6日没(23歳)
  • 出生地
    オアフ島 ホノルル

名前の由来

”カイウラニ”という名前は母方の叔母であるアンナ・カイウラニから、”ビクトリア”はイギリスのビクトリア女王にちなんで名付けられました。カイウラニ王女は23歳で病気のために亡くなりましたが、叔母のアンナ・カイウラニも若い時に亡くなっているようです。
ハワイ語で”カイウラニ”は「貴族の神聖な場所」、「天国の最高点」という意味が込められています。
またハワイ王国6代目のルナリロ王の名前も入っており、こちらもハワイ語ですが「はるかに上」という意味があり、将来の君主として期待されていることが伺えます。

実業家の父とハワイ王家の母

カイウラニ王女はスコットランドの実業家の父と、カラカウア王、リリウオカラニ女王の兄弟であるリケリケ王女の間に生まれました。カイウラニ王女はひとりっ子でしたが、3人の異母姉妹がいました。
上述のとおり叔父と叔母はハワイ王国の君主のお二方。そしてリリウオカラニ女王によって君主の後継者指名を受けており、ハワイ王国9代目の君主となる予定でした。

カイウラニ王女の功績

1893年、ハワイ王国が転覆したとき、王女は17歳で当時ハワイにはおらず、イギリスで生活していました。リリウオカラニ女王の後の君主になるため、イギリスで勉強していたのです。
転覆後は一般市民となりますが、ハワイ王国のため、ハワイ先住民のために力を注ぎます。

ニューヨークで行われた王女のスピーチ

ハワイ王国転覆後、アメリカへ渡り、報道機関や多くの民衆の前で、ハワイ王国を転覆させた臨時政府に対する批判とハワイ先住民を保護するためのスピーチを行いました。
臨時政府とはアメリカなどの白人により構成されており、このスピーチの背後には臨時政府に反発する人々の虐殺があり、それに対する抗議を直接アメリカで行ったのです。
カイウラニ王女はとても美しく、その美貌、若さ、勇気ある行動で注目を浴びます。

ハワイ先住民の選挙権の獲得

1898年9月、カイウラニ王女はアメリカから派遣されてきた米国議会の委員会メンバーを歓迎するパーティーを主催しました。この時はすでに”王女”ではなく、主催者としてスピーチをします。しかし、そのスピーチはハワイ先住民の市民権を獲得するものでした。このパーティーの1カ月前にハワイはアメリカ領土の一部として編入されていたためです。
このスピーチがきっかけとなり、1900年4月にハワイ基本法-Hawaiian Organic Act-が制定されました。
このときにハワイはアメリカの準州となり、その後1959年にハワイ州となった際に、この法律はハワイ州承認法に置き換えられました。

カイウラニ王女と言えば、ピカケとバニヤンツリー

王女はクジャクが好きでした。小さい頃からクジャクが周りにいる環境で育ったことが影響しているようです。クジャクはハワイ語で「ピカケ」、そのクジャクの周りに咲いていたお気に入りの花もまた、「ピカケ」と名付けました。

王女に愛された花のピーカケ

ハワイ語のピカケ(pikake ※本来の発音はピーカケ)の意味は、鳥のクジャクと花のマツリカの2つあります。マツリカとは、ジャスミン茶などに使用される”アラビアジャスミン”です。香りが強く、小さい白い花が咲きます。
ピカケはよくレイに使用されます。男性からピカケのレイを贈られたときはラブコールの意味があり、デートの申し込みだそうです。2連なら気軽なデート、3連は遊びではなく本気、4連は愛の告白だそうです。

ハワイにあるバニヤンツリーの始まりは王女から

王女のお父様が世界中から花や木を集めて、庭に植えており、その中にバニヤンツリーが植えられました。このバニヤンツリーはカイウラニのバニヤンツリーとして知られ、この木からの挿し木でハワイにバニヤンツリーが増やされたそうです。
なお、王女の住まいはアイナハウ('ainahau)と呼ばれるところで、現在のシェラトン・プリンセス・カイウラニが建つエリア一体(東京ドームの半分より少し小さいぐらい)です。
シェラトン・プリンセス・カイウラニのすぐ近くにはカイウラニアベニューがあり、そこにあるプリンセス・カイウラニ・トライアングルパークに、カイウラニ王女の像があります。
あまりに景色になじんでいるため、意識していないと見逃してしまうので、見に行かれる方はご注意を。
<プリンセス・カイウラニ王女像>

併せて読みたい

・6月11日はキング・カメハメハ・デー
・9月11日はエリザベス・ケカアニアウ王女(ハワイ王家)の誕生日
・3月26日はハワイは祝日「クヒオ・デー」

スポンサーリンク

-ハワイの歴史・王族

© 2024 mahello-マハロ- Powered by AFFINGER5